田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月25日日曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 灰かぐら 8

 すわこそ! と一同は緊張したが、対策は容易に纏(まとま)らない。そこで、どうしても民衆保護機関たる憲兵隊と連絡を取る必要があるというので、直ちに分遣所長の立会を求めた。然し所長は今指揮を執っているから来られないといって、班長が代理として駆けつけた。そして班長は如何にも沈痛な口調で、
「彼らの行動は、成川の模様を見ると、先ず憲兵隊を襲うて、次に諸官公署を襲うらしい計画であります。然し唯でさえ憲兵が欠員であるところに、先日また国葬警戒のために三名は京城に行って不在であります。斯の如く少数の兵員で、一方に分遣所の防備を為し、また一方に諸官公署並びに在留民の生命財産を完全に保護することは、中々困難であります。それにこの際憲兵を各方面に割くことは、どうしても事情が許しません。軍人である我等は勿論、家族の者も既に死を期して善処しようとしているのでありますから、皆さんも充分御了察を願います。」

 班長の言葉は誠に悲壮であった。Y庶務主任は、
「成川の分隊から憲兵の増派か、若しくは平壌から援兵は願われないのでしょうか?」
「ハイ、それで所長殿は昼間から電話を掛けていますが、今に要領を得ないのであります。」
 班長は僅かに眉を動かした。Y庶務主任は更に一同に向って、
「皆さん、皆さんもご承知のとおり、当地は全く孤立無援の地に等しい僻辺であります。それにまた四囲の状況は既にお聞きのとおりであります。憲兵隊も兵員が少ないのでありますから、この際我等は万全を期する為に、官民一致協力して憲兵隊を援助し、もし殪(たお)るれば共に殪れたいと思います。」  
 悲痛な声は、極度に緊張して底力があった。

 その時またドカドカと慌ただしい靴音が門前で止った。
「班長殿、報告! 群衆の先発隊は、既に当邑より一里余りの地点に迫りつつあり。終りーッ。」
 K上等兵は恐ろしいほど緊張していた。班長は、
「皆さん、あの報告のとおり、危急がだんだん迫ってきましたから、私はこれで失礼します。何分よろしく。」
 と雄々しくも言い捨てて、Y上等兵の後を追うてまた闇に消えた。

「それでは皆さん、直ちに憲兵隊へ。」という声が異口同音に交わされて、各々は準備のために帰宅した。

0 件のコメント:

コメントを投稿