船の方が楽だから、元山からは船に乗ると言っていた田井さんが出発してから六日目であった。洪君は配達された一束の郵便物の中から、私に宛てた田井さんの手紙を見つけ出して、
「ああ、これは元山から出していますね。理事さん、田井さんは無事に着いたようですね。」
と言って横封筒に万年筆で走り書きにした田井さんの手紙を差出した。私は封を切って一息に読み下した。
拝啓 前略御地在任中は一方ならぬ御世話に相成誠に
有難奉鳴謝候、陳者小生出発に際しては、御丁重なる
御餞別にその上、送別句まで頂き、途中明るき気分に
て旅行を続け申候処、病勢は次第に重る許りにて、誠
に生き甲斐なき事に御座候、この上病躯を提げて帰国
するも、歓び迎ふる肉親とても無之、殊に人生既に五
十を越え居り、此の上病苦に悩みつつ生を貪る心は、
毛頭これなく、哀れ果敢なき人生と諦めて、茲に自殺
を決心致し候條、生前特に御親交を賜りし理事様にの
み、御通知申上候間死後は萬々宜しく御依頼申上候
早々不一
さらば、時は今月今夜 場所は 元山港外
辞世 古里の花を見ずして眠るかな
大正七年三月二十二日 田井囚水
重松理事様
「おお! これはまごうことなき田井さんの筆跡だ。」
私は手が戦いて、愕然として色を失った。そして大声をあげて、
「洪君、たた・・・大変だ! これは田井さんの自殺状だよ。」と叫んだ。生まれてから初めて自殺状を受取った私は、もう胸がドキドキするのをどうすることもできなかった。
「ハハァ、田井さんは自殺しましたか。やはり田井さんとしては,辿るべき道を辿りましたね。」と洪君は耶蘇教信者らしいことを言いながら、田井さんの手紙をのぞき込んだ。
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