田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月25日日曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 灰かぐら 4

 私は事務所に帰って、一通り事務の整理をして、直ちに郡庁に出かけた。郡守宅で郡守と両主任とに会見して、唯今の分遣所長の話を残らず話した。そして善後策を協議するために、諸官公署の代表者に回章を廻して一応郡庁に集まることにした。 
 その間に私は、平素親しくしていた普通学校の進さんに知らせに行った。進さんは教員室で、何か他の先生と頻りに研究していた。私は緊急打ち合わせを要する事があるから、直ちに郡庁に集まるようにと言って進さんを促して出た。

 二人は学校の桑園の間道を急ぎ足に歩いた。半町ばかり来ると進さんは漸く、
「何事かね。」と振り返った。
私は、所長から聞いた通りのことを話した。
「そりゃ一体、何の目的の暴徒だろうね。」進さんも私と同じように疑問を発した。
「私も全く分からないが、昨日の元山新聞を見ると、所々に白地や抹削された箇所があったが、その中に何の意味か分からないのですが、天道教とか独立とか、万歳とかの文字が判読されたが、天道教が何か運動でも起こしたのではないでしょうか?」と私は答えた。

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