田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月21日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 自殺状 1

 その頃内地人の組合員は、僅かに三人しかいなかった。
 田井さんはその三人の内の一人で、以前は台湾の、ある田舎の郵便局長までした人だが、三四年前から渡鮮して、今では陽徳郵便局の一事務員として満足して働いている。年は五十三歳だが、若い時に随分苦労をしたとみえて、頭の毛は白髪の方が多かった。妻もなければ子供もない全くの孤独で、国元にも親戚らしい親戚もなく、唯一人の従兄弟が侘しく田井さんの帰りを待っていたが、それも先年の流感に斃(たお)れてしまった。
「凡そ世の中に孤独といっても、私くらい徹底した孤独はないでしょう。」などと言って、田井さんは非常に人生を淋しがっていた。

 そこの局長さんは、田井さんよりまだ二つ年上で、家庭の都合でやはり独身生活をしていた。
 夕方になると、この年老いた二人の独身者が、相対した官舎の縁側で、七輪にバタバタと火を起こして炊いていたが、その様はまことに味気ない浮世に思われた。

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