田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月26日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 偵察 4

 T分遣所長は更に一段と声を落して、
「それからこれは極秘だが、成川の分隊長が四日の朝、挙銃で左足の膝下を狙撃されてとうとう戦死したが、その一味が本部に入込んだらしい形跡があるから、中々油断ができないよ。」と私の顔を見つめた。

「あの分隊長がやられたのですか?」と私は目を見張った。思えば大正七年の一月、私が新任理事として初めて陽徳に赴任するとき、図らずも新任隊長として同じ自動車に乗り合わせたが、私は今その奇縁を思い浮かべて、惻々として哀悼の情に堪えなかった。私は僅かに、
「ほんとうに残念なことをしましたね。」と言ったが、それっきりやや暫らく二人の間に沈黙が続いた。が、T分遣所長は漸く口を開いて、
「然しこれは我々の士気に関することだから、全く極秘だよ。」と言って更に「あるいは僕が分隊の指揮を執らねばならぬかもしれない。」と付け加えた。

 それからまた私はK上等兵とOさんと三人で偵察に出た。路面に堅く凍りついた薄汚い雪の上を踏みしめながら、私は独り頭の中で、こうしてそちこち偵察しているうちに、何処かでひょっこり天道教信者の崔さんに巡り会わないだろうか。もし巡り会ったら、先ず崔さんによく説明して、更に崔さんからその仲間に説明してもらって、事無く解散することができたら何よりも幸せだが、もし万一不幸にして崔さんに巡り会わないで、他の憲兵に引致されるようなことがあったら、ほんとうに崔さんが可哀そうだと思った。そして、ただもう組合員という肉親的な感情から、どうかして崔さんに巡り会いたい、会って話したいと願い、且つ祈りつつ探し歩いた。けれども不幸にしてただ徒(いたずら)に焦慮するばかりであった。

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