田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月25日日曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 灰かぐら 5

 その頃陽徳に一番早く来る新聞は元山新聞で、二日目には届いた。その他の新聞は、大抵五日または一週間以上かかっていた。それで邑内の人々は、元山新聞を一番早くニュースとして読んでいたのである。
「平壌方面の状況は分かりませんか?」
「全く不明ですよ。隣郡の成川の様子でさえも、それだけしか分からないのですから、それに大事の電話が通じないのですものね。」
「ほんとうに大変な事になりましたね。」

 私達は桑園を通り抜けて本通りに出た。そして二人は肩を並べて大股にずんずんと歩きながら、不安の想像に銘々の思いを走らせた。そして私と進さんが郡庁に行った時は、もう諸官公署の代表者は皆集まっていた。

 庶務主任は私に顛末を一応話してくれということだったので、私は先刻分遣所長と会見した要領を残らず、極めて冷静な態度で話した。すると何れもこの意外突発事件を非常に驚いた。そしてこれからどのようになりゆくことかと、ただ顔を見合わすばかりであった。誰の顔にも、一刻前と変わって、一様に憂色が漂っていた。いろいろと協議の結果、とにかく晩の八時から、中央部に在る私の家に集まって、更に協議をすることにして一応解散した。

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