田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月17日土曜日

朝鮮農村物語 序 5

 本書の編集から発行に至るまでの一切のこまごまとしたことは、木内高音氏と私とがあたったのであって、本書に何等かの不備な点があればそれは私たちの責任である。昨年の秋、紀元二千六百年の祝典に参列のため上京した著者と私たちとの間に簡単な打ち合わせはあったが、遠隔の地にある著者はすべてを私たちに一任したのであった。

「我が足跡」「それから十二年」の二篇を合して、これに「朝鮮農村物語」という書名を附したのは私である。著者を通して、「大地に生きる」式の書名を推してきた人もあったが、私は採らなかった。一見して何が書いてあるかを明示する質実な標題が本書のために好ましいと思った。「朝鮮農村物語」という書名は一般的にすぎ本書のもつ性格をあらわしていないということはあろうが、いろいろ考えた末に、結局この平凡な書名をよしとしたのである。
「我が足跡」には万歳事件の記述がある。これは著者の人生に影響した事件であり、この事件を境目として著者の新生活ははじまるのであるから、この記述は逸するわけにはいかない。
雑誌発表の時からは年も経っているので、岩田君の尽力で朝鮮総督府の内閣を経、差し支えなしということであったとの通知に接したが、私たちは尚その上に、いくらか削除したり、字句の修正をしたりした。著者負傷前後の事実の経過を明らかにする必要以上の記述はもとより最初からなかったのであるが。

 しかし二段組みにして五百頁近くに及ぶ本書の原稿全部に数回にわたって目を通し、章別を正し、誤字を正し、印刷に廻ってからは校正を全部自ら見て、こまかに心を配ったのはすべて木内氏の労なのである。氏はもっとも繁忙な仕事のなかにありながら本書の事は最初から最後まで一人で手がけられたのであった。私は時々氏から意見を求められて答えるにとどまった。氏の尽力がなかったならば本書が世に送られることはできなかった。著者と共に氏に対して深い感謝の意を表する。

 著者は昨年の暮れに黄海道から京畿道に移って今その地の組合にあって活動している。著者の今後の健康と活動とを祈ってやまない。
       
     昭和十六年九月
                           島  木  健  作      

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