田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月25日日曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 灰かぐら 3

 二人が組合の植え込みの小松の側まで来ると、T所長は此処ならよかろうといったように立ち止まった。そして、
「理事さん! 大変な事が起こったよ。今朝十時にね、隣郡の成川に俄然暴徒が蜂起して、内鮮人死傷○○○名の見込みだそうだよ。そして・・・」と言いかけている分遣所長の言葉を遮って、
「それはまた、何のための暴徒ですか?」と言葉鋭く聞いた。

 春風駘蕩たる心持を抱いて仕事をしている理事としての私には、全く寝耳に水で、何の目的のための暴徒か全然想像もつかなかった。所長は小松の枝を引っ掴んで、
「それはまだ僕にも分からないのだ。ただ成川分隊からの電話によると、内鮮人死傷○○○名の見込みだ。そして主謀者が途中同志を叫合しつつ、陽徳襲撃に向ったから厳重に注意せよ。とまでは電話が聞き取れたが、それからは時々銃声が聞こゆるばかりで、どうしても電話が通じないのだよ。」
「それは大変な事になりましたねえ。」
 私はその暴動がやがてこの孤立無援の僻邑にも、波及して来るのではなかろうかと不安で堪らなかった。所長は、 
「それでだ。僕は万一に備うるために、各出張所員の非常召集の手配や、兵器の整理や、また分隊との連絡を保たねばならないから、君は直ちに邑内の諸官公署と連絡を取ってくれ給え。何しろ分遣所は憲兵が欠員のところに、また国葬警備のために召集せられたりして、人手が足りなくて困っているのだ。とにかくこんな非常時には、各官署が連絡をとって、できるだけ未然に塞がなくてはならないから、何分よろしく頼むよ。」と言うと、駆け足で憲兵隊に帰って行った。

0 件のコメント:

コメントを投稿