田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月26日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 偵察 5

 こうして私は三回目の偵察を終えて、分遣所に帰ってきた。すると夜は何時しかほのぼのと明けそめて、大空の明星がだんだん薄れると、三月五日の陽差しが、裏山の保護林の上を美しく染めた。

 私は更に組合に行って、宿直の書記を起こし、全ての注意を与えて、再び分遣所に帰ってきた。そして婦人方が炊き出してくれた握り飯を食べたが、その時同じく私の側にいて朝ごはんを食べていたK上等兵は腕時計を見て、
「さあ、今が九時だから、そのうち必ず暴徒の一隊が押し寄せてきますよ。」と言った。するとOさんは、
「どの方面から来るでしょうか?」と訊ねた。
「それは五柳洞の方面から、間道を経て来つつある群衆が、先発隊と合同してきますよ。今S上等兵が偵察に出ているから、帰れば必ず動静が分りましょう。」とK上等兵は簡明に言って立ち上がった。食事を終えた私はOさんに、
「Oさん、成川では分隊長がやられたが、お互いも全くどうなるかわからないね、別れの杯だ! その水を一杯汲んでくれ給え。」と言ったら、Oさんは、
「分隊長がやられたって?」と驚きの目を見張りながら、水差しを右手で握って茶碗に注いでくれたので、私もまたOさんの茶碗に一杯注(つ)いだ。二人は無言のまま飲み干して、その茶碗を机の上に置くと同時に、偵察に出ていたS上等兵が宙を飛んで正門から走り込んだ。そして庭内で警笛をピーピーと吹き鳴らすと声を限りに、
「暴徒来襲!」と叫んだ。

 すると忽ち一大喊声(かんせい)が山岳に轟き渡った。そして狂いに狂い、猛りに猛った一大群衆は、邑内を疾風の如く真白になって、早くも分遣所の門前に怒涛の如く殺到した。

 すわこそ! と私は正門の第一線に、K上等兵とS上等兵と三人で躍進して、
「入るな、待てッ!」と大声で叫んで、これが鎮撫に努めたが、その先頭部隊は制止を聞かず、門札をはずしてこれを地上に抛(なげう)ち、万歳を連呼して我等の必死の防禦線を突破して、各所に格闘が演じられた。

 私もK上等兵も第一線で、七八人あての屈強なる暴徒に組付かれ、その上千名に余る群衆のために、十重二十重に取り囲まれて、今は全く絶体絶命となってしまったので、私は思わず腰の挙銃を握りしめた。 

 その時暴徒の一隊は、早くも事務室に乱入せんとして、喊声は正に耳を聾(ろう)するばかりであった。
 嗚呼! その刹那! 嗚呼! その刹那!

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