田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月20日火曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 戀(こい)の豹 1

 ストーブの胴腹に木の根っこを小使が押し込むと、それがドンドン燃える。平壌から石炭を買っては、肝心の石炭代より運賃の方がよほど高くなるから、この組合では榾(こち)を焚いているのである。

 その頃の組合の貸付限度は僅かに五十円で、私が引継ぎを受けたときは総貸出高は九千円、総預り金高は六百円位であった。職員は書記が一人に小使が一人、損をするのが当然で、利益があるのは寧ろ不思議なくらいに思っていた。
「俺の組合は今年は損失が僅かに二百円で済んだ。」などと損失の少ないのを以って誇りとしていた。
 今の組合の状況に比べると実に隔世の感がある。

 私が赴任して第一番に会った組合員は崔さんである。崔さんは年は五十足らずで身体は大きかった。四五年前から崔さんは、天道教を信ずるようになって、子供のときから四十余年も伸ばしていた頭髪を惜し気もなく切ってしまい、白髪交じりの頭髪を五分刈りにしている。
「この山の中で頭髪を刈っている人は、皆天道教信者ですよ。」と若い耶蘇教信者の洪君は説明した。

 崔さんは私の前に来て、丁寧に頭を下げた。そして腰に吊るしていた神代に用いたような、黒光りのする徳利を私の机の上に差出した。何事が始まるのかと見ていると、今度はチョッキのポケットから高麗焼のような色の杯を取り出して私につき出した。
「理事さんが代わったというから、挨拶に来ました。この山の中にご苦労です。まァ一杯飲んで下さい。」といって神代の徳利の口にしていた新聞紙の栓をはずした。するときつい朝鮮焼酎のにおいが、プーンと事務室中に広がった。
 一年中山の中で暮している崔さんは、私共の執務に対しては全く無関心らしかった。
「ありかがとう、だが私は酒はちっとも飲めないから。」と笑いながら断ると、
「でも今日は雪が降っていて寒いし、それに態々持ってきたのだから、まぁ一杯。」と言って、崔さんは働き手らしい算盤珠のような節をした指先で、自ら焼酎をその杯になみなみと注いで私に押しつけるように差出した。

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