田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月26日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 偵察 2

 郡庁の前を通って組合の横に出たので、私は念のため組合の周囲を廻ってみた。そして小徑伝いに裏門から分遣所に行った。

 分遣所の構内の宿舎には、燈が細く点いて誰かの低い話し声が聞こえていた。事務室の中央には机があるばかりで、その他は全部片づけられてあった。

 T分遣所長は軍帽を被ったまま電話口で、「もしもし、もしもし」と呼び続けていたが、更に応答はないらしかった。私が入っていったのに気がつくと、電話を側にいる補助員に代わらせて、
「いや、理事さん、どうもよく来てくれました。有難う。」と感激に輝く目を見張って、私の手を堅く握った。それから続いて入ってきた進さんやOさんを見て、
「どうも皆さん、有難う。先刻班長から皆さんのご協議の結果を聞いて感謝しております。どうか何分よろしく。このとおり他の所員は皆偵察に出ているような状況です。」と言って三人に椅子をすすめてくれた。そのうち全部顔が揃ったが、何れも皆緊張しきっていた。婦人や子供は皆憲兵隊の官舎に収容して、男子は全部警備につくことになった。そこで地方人と憲兵とを合同して、一斑から三班まで組織して、代わる代わる邑内及びその付近一帯の偵察と警備についたのである。

 そしてT分遣所長は一同に対し、厳然たる態度で、
「茲に各位の応援を得、大いに意を強くすることができたのは、誠に感謝に堪えません。で、この際、我々は絶対に軽挙を慎まねばなりません。而して武器の使用は一定の掟があって絶対非常の場合に限られているのであります。私共は能ふべくんば之を用いずして鎮圧したいと思いますが、愈々絶対絶命となれば、私は全責任を負うて命令を下します。その命令あるまでは、如何なることがあっても、隠忍自重して決して武器を使用してはなりません。それでは皆さん、一致協力してベストを尽くして下さい。」

 T分遣所長は未だ嘗て見たことがないほど緊張していた。そして凛然として顔色自ら決するところがあるものの如く見受けられた。

 そこで憲兵と在留民とは、共同交代して邑の内外四方に警戒線を張ると共に、徒党をして大集団たらしめざるよう、夜陰に乗じて集合し来たるものは、順次に一応之を引致することにした。

0 件のコメント:

コメントを投稿