田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月22日木曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 鵲(かささぎ)の友情 1

 大自然は永遠の歩をズンズンと陽徳の山野に運んだ。掘れば血の出るような赤土の山崖には産毛のような緑草が燃え出でて、訪ずるる春風に、李花はひそやかなる喜びをうたい、半島の自然の息づかいはだんだんと鼓動が高まってきた。
 爛春の陽徳は保護林の霞に明けて、孔子廟の李花に暮れ、やがて輝かしい夏に入る。川の流れに釣り糸を垂るる姿も、いつしか消えてしまうと、今度は粛殺として事務所のポプラを渡る風が淋しくなる。

 しんみりと胸に食い入るような虫の声を叢(くさむら)に聞かなくとも、永劫から永劫へと果てしなき旅を流れていく秋風の音を聞かなくとも、世は何時しか秋に入ったことを外気の冷えによって感ぜしめられる。高原の彼方に沈み行く赤い血のような夕日が愈々詩人を泣かしむるようになった。こうして自然の歩みは、更に落莫たる冬に入るのである。
 そして大自然は穢れなき真如の姿を悠久の行路に辿らすのであるが、そのうちにも人間界は、毎日私の机の上に遅れながらも届いてくる新聞紙上に、醜い争闘の記録を書き述べている。ある人はそれを美しいと見、ある人はそれを面白いと見、更に悲しいとみる人もあろう。
 淡い水のような明け暮れが、それでも真面目に平静に、一枚一枚と柱暦がめくられていく。それが陽徳に住む私の人生であった。しかも遠く都の塵を避けて、狼林山脈の中に五百の老若男女が巣くうている邑内に於いても、日々の変遷は繰り返されるのであった。

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