田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月28日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 貫通銃創 3

 私は進さんの背に担がれて、事務室内の宿直室に一先ず収容され、柿色の軍用毛布の上に寝かされたが、泉の如く流るる血汐で、毛布は見る見るうちに真赤に染まってしまった。進さんは、
「重松さん、しっかりし給え。」と言って私の右の手をしっかと握ったが,両の目からは熱い涙がはふり落ちた。Oさんも駆けつけて、
「重松さん、大丈夫だ。しっかりしなさい。」と言って私の血に染まったゲートルを解いて、泉の如く流るる鮮血を拭いながらハラハラと落涙した。
「なァに、これくらい、大丈夫ですよ。」と私は集まってきた人々の顔を見上げた。そこへT分遣所長が皆の中を押し分けて、
「おお、重松君、やられたか。しっかりしてくれ。よくやってくれた。」と言って私の手を固く握って、顔を背けて涙をハラハラと落した。そして尚も、
「君は全く我々のために犠牲になってくれたのだ。君だけを決して殺しはしない。気を確かに持っていてくれ給え。」と言って又手を固く握りしめて、落つる涙を軍服の袖で押し拭った。官舎に非難していた奥さん方も宿直室に詰めかけた。子供を抱いて駆けつけた進さんの奥さんは、
「先刻まで元気であった重松さんが、私達のために働いて負傷した。」と言って子供に顔を押しつけて、よよと泣き伏した。

 そのうちに多数の人々が駆けつけて、私のゲートルを解いたり、上着を脱がせたりしてくれたが、それでも私は唯右足が動かないばかりで、ひとつも重傷を負うているとは思わなかった。

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