田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月28日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 貫通銃創 10

 高橋さん夫妻は三月三日に、初めて郷里仙台から畜産組合の技手として遥々赴任してきて、引継ぎの真最中に今回の騒擾に会い、前任者も亦赴任も出来ず引継ぎも出来ず、そのまま二人の畜産技手が滞留していたのであった。

 その内地から来たばかりの高橋さんの奥さんが、か弱き女の身で、畑の中を一目散に横切って、公医のうちに粥を持って来てくれたことは、いたく他の人々を驚かせ、また私を感激せしめた。

 そして奥さんは粥をガーゼに泌ませて、それを私の口に含ませてくれたが、渇しきった私はガーゼで潤すくらいでは到底堪えられなかったので、包帯の手伝いをしていた奥さんの手から粥の鍋を奪い取って、口をつけて正にそれを飲まんとした。その瞬間奥さんは慌てて、
「ああ、それをみんな飲んではいけません。」と言って私の手から鍋を取り返そうとしたが、私が放さなかったので、とうとう奥さんは鍋をひっくり返して、タオルで素早く拭き取ってしまった。そして奥さんは、
「ああ、驚いた! これを全部飲まれたら、それこそ出血して、ほんとうに取り返しのつかぬ事になるところでした。まァよかった・・・。」と言ってホッとしたようだった。
「戦争などでも、負傷して出血すると非常に渇するものですよ。そしてその時に水でも沢山飲ませようものなら、皆バタバタ斃れてしまいます。本当に危ないところでしたね。」とS上等兵は空になった粥の小鍋をうち眺めた。

 私はいくら渇したって、鍋まで奪い取って飲もうとした自分を浅ましく思った。渇し切っていたので、全く無意識に手が出たのであったが、もしその時奥さんにそのような心得がなく、私の飲むがままに任せていたら、恐らく私は斃れていたに違いない。

0 件のコメント:

コメントを投稿