早春のある朝のことであった。私が出勤すると洪君は私の机の前に来て、
「理事さん、今夜から宿直には小使も泊まるようにして下さい。」と頗る不安な顔をしている。
「どうしてかね・・・。」と私は出勤簿に判を押しながら尋ねた。
洪君は手真似をしながら、昨夜宿直をしていると、夜明け方に裏山で豹がウォーと嘯(うそぶ)いたとおもうと、今度はまた城北里の山でもウォーと豹が唸って、何でも互いに二三回、代わる代わる唸って逃げたらしかったが、それから一寸も眠れなかった。だから今夜から、小使も泊まらせてくれというのであった。
私も恐ろしい豹の唸り声は聞いたが、まさか人家にまでは出ては来ないだろうと多寡をくっていたが、実際気持ちはよくなかった。
それから噂が、忽ち邑内に広がって日没後は外出する者さえもなくなった。貯金を持ってきた郡庁の小使は、守備隊が引き揚げて鉄砲の音がしなくなったから、猛獣が出没するようになったのだと窓口で話していた。
若い時に猛獣狩りをして虎と格闘し、右手を肘の下から喰い取られたという組合員の金さんは、「今頃は豹の交尾期で、裏山で牡が牝豹恋しと嘯いたから、城北里にいた牝が牡豹恋しと吼えたのです。つまり豹の恋ですよ。」と頗る合理的な説明をして聞かせたりした。
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