田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月28日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 貫通銃創 11

公医は傷の消毒が済むと、また薬をつけたガーゼを傷口からグングン押し込んで、その上を固く固く包帯して、
「これで出血が止まってくれればよいが、もし止まらなければそれこそ大変です。」と進さんに言った。

 ここで三十分位治療を受けて、再び私は担架に乗せられ診療室を出ようとしたその時、今まで堅く閉まっていた隣室の襖が不意に一尺ばかりスーッッと引き開けられた。それが全く不意であったので、人々は電気にうたれたように緊張して、皆一斉に襖の開いた隣室に視線を注いだ。

 私も担架に乗せられたまま思わず襖の開いた方を注目すると、其処には頭に包帯した一人の老人が座って此方を向いて何者かを探し求めていた。そして担架の私に目を注いで、二人の視線がハタと合ったとき、私は実に、実に大きなショックを受けた・・・。それが前夜以来、私が心配して探し回っていた天道教信者である組合員の崔さんであったのだ。私は全く夢中で、
「おお 崔さん!」と叫んだ。
「アイゴー、理事さん!」と崔さんも肺肝から声を絞って私を呼んだ。

 天道教信徒の崔さんは、とうとう私に巡り会わないで、この運動に参加して、遂に負傷してしまった。それが赴任以来最も親しくしていた組合員の崔さんであっただけに、私の驚きと悲しみとは一入であった。そして今ここで図らずも傷ついた二人が互いに巡り会って深い感慨に打たれたことは、まことに不思議な因縁といわねばならなかった。

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