田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月18日日曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 第一歩 1

第一歩

 その夜の平壌は、大吹雪であった。全く咫尺(ししゃく)も分からない。新義州から電報を打っておいた同級生の高見君も一向迎えに来ていない。
 駅前に並んでいた十五、六台の人力車は、何れも下車した客を乗せて吹雪の中に吸い込まれるように消えてしまった。 
 私はどうしたらいいかと当惑していると、高見君が黒いマントの裾をつかんで吹きまくられながら、直ぐ目の前の吹雪の中に現れた。
「やァ!」と、私は落ち込んだ淵から救われたような気持ちで叫んだ。
「おい、今夜の吹雪はひどいなァ!」と高見君は曇った眼鏡をはずして拭きながら、
「実は早く来ようと思ったが、銀行が馬鹿に忙しくて今夜も夜勤を止めて、銀行から直接やって来たんだよ。」と息をはずませて言った。

 二人は学校を卒業すると土地調査局に勤めたが、大正六年の秋の半ばに、二人とも申し合わせたように退官してしまった。高見君は漢城銀行に入ったが、私は理事見習いとして、虫が鳴く国境の義州地方金融組合に赴任し、そこで見習いの三ヶ月を訳もなく過ごした。
 そしてその年の暮れに、突然、平南陽徳地方金融組合の理事を命ぜられた。私は平北を、恰も追放者のような心持ちを抱いて、朝夕見なれた統軍亭に名残の一瞥(いちべつ)を投げて出発したのであった。
 
 二人はやがて吹雪の中を泳ぐようにして町に出た。
 平壌は大正二年まだ学生時代に、暑中休暇を利用して無銭旅行で来たことがある。その頃は人車といって、レールの上に箱を置き客を乗せて、それを人間が後ろから押して歩いていたが、もうそんなものは見当たらなかった。
 その夜は高見君の下宿している朝日旅館に落ち付いて、吹雪をよそに二人は語り明かした。

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