翌日朝早く、道庁の第二部長(財務部長)に就任の挨拶に出かけた。道庁の入口では、昨夜来降り積もった雪を大勢の小使が担架で運んでいた。
厳めしいカイゼル鬚の部長は葉巻を燻らせながら、グイと回転椅子を私の方に向けた。
「君の辞令の日付は?」
「ハイ、大正六年十二月三十一日付であります。」
「三十一日付か。」とT部長はつぶやく。
「君は陽徳はまだ知らないだろう。」
「ハイ、存じません。」年若い私は何だかT部長から威圧されるような気がした。
「陽徳はいい所だよ。箱根のような温泉が二箇所もあって、それに山は皆京都の東山のような山ばかりで、全く山紫水明の地だよ。本道の理事の中にも陽徳の希望者が沢山あったが、君は平北から来て、特に陽徳に行くようになったのは仕合せだ。赴任したら大いにやってくれ給え。」などと歯切れのいい数語を聞かされて、又宿に帰ってきた。
そして炬燵の上に、先刻道庁で貰ってきた道勢一斑の地図を広げてみた。
義州を発つとき山口老理事から「陽徳は平壌から三十八里、元山からは二十二里の地点で、狼林山脈中にある一僻邑(へきゆう)だ。定めし当分は淋しいことだろう。」と聞かされたが、今日の部長の話によれば、大して悲観するにも及ばないらしい未見の新任地をいろいろと想像してみた。
その頃平元道路は立派に完成していたが、自動車は平壌から十六里離れた成川邑までしか往来していなかった。それも三日に一度という不便な交通状態であった。
ともかく私は一月十九日(大正七年)の自動車で、高見君に見送られて平壌をたった。
自動車の乗客は、私とトランクを沢山持った憲兵大尉と唯二人きりであった。そしてだんだん話している中に、その大尉は成川の憲兵隊に、新任分隊長として赴任するのだということが解った。私はこの二人の新任者が幌のない自動車に乗り合わせて、お互いに新任地に思いを馳せながら、雪の広野を東へ東へと驀地(まっしぐら)に進んで行くことは面白い因縁だと思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿