田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月23日金曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 馬の鈴 3

 洪君は学校を卒業して、ほんの十六歳の子供の時に、陽徳組合の第一回目の小山理事に書記として使われて、単身赴任して、それから二十二歳の春まで、この山紫水明の陽徳の自然の懐に抱かれて、極めて平和に、且つ幸せに育まれたのである。

 そして三年ほど前にその出入りしている教会の牧師の娘と結婚した。それ以来組合の書記生活はもちろん、家庭に於いても恵まれた感謝生活を送っていた。

 私が陽徳に赴任する少し前に、男の子が生まれた。洪君夫妻の喜びは一際(ひときわ)だった。そしてその子が生まれたのは、全くこの山の中の平和な陽徳のお陰だといって、その子供を洪陽徳と命名して、朝夕二人は寵愛していたのであった。

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