田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月22日木曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 鵲(かささぎ)の友情 2

 ポプラの葉が風もないのに一片散った秋晴れの暖かい午後であった。天道教信者の崔さんが、久方振りに組合に顔を見せた。崔さんは組合に来ると、必ず事務室に入って、私の机の側に来て、吹雪の中で話すような大きな声で、いろいろと頓着なしに話すのだった。
「理事さん、今日は私が裏山の火田に作った玉蜀黍(とうもろこし)が出来たから持って来ました。これは煮ても焼いても中々美味しいですよ。」と言って崔さんは、萩で作った小さな籠を差し出した。その中には三本の玉蜀黍が入れてあったが、何れも皮の先が破れて、赤い鬚がはみ出した下から黄色い小粒の玉蜀黍の実が現れていた。崔さんは、
「今日は別に用事はないが、邑内に来たから訪ねてきました。今年は雉(きじ)が沢山いるから、日曜日にでも撃ちに来なさい。」と言って三本の玉蜀黍を私の机の上に残して帰って行った。三四日前に私が崔さんの部落に出張した時、崔さんは玉蜀黍を焼いてご馳走してくれたが中々美味しかった。それで今日また持ってきてくれたのである。

 私はこの玉蜀黍は、崔さんが焼けつくような石ころばかりの火田で、朝から晩まで真っ黒になって働いた汗の結晶だと思うと、ただこのまま食べてしまうのは何だか済まないような勿体ないような気がしてならなかった。

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