田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月28日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 貫通銃創 5

 私は公医の「傷は浅い、二週間・・・。」という言葉を聞いてから、非常に安心して、今まで緊張しきっていた精神が一時に緩んできたためか、漸く傷の痛みを感ずるようになった。そして絶えざる出血のために、だんだん顔色が蒼白となったので、公医は極少量の葡萄酒を飲ませて、腰のあたり一面にくっついている鮮血を脱脂綿で拭いとってくれたが、それでも尚両方の傷口からはブクブク、ブクブクと真赤な血が湧き出て止まらなかった。

 公医は傷口を消毒して、ガーゼを何尺か傷口に押し込んだが、なお依然として出血は止まなかった。それに負傷の箇所が大腿部から臀部であるので、血を止める方法がなかった。そこで咄嗟の場合、公医としては唯むやみに、傷口を包帯で縛るより他に方法がないらしかった。

 そして漸く私の仮包帯が済むと、正門の方で、
「逆襲ッ!」と叫んだK上等兵の声が破れ鐘のように響いた。今まで私を取り巻いていた人々は、再び前線に進み出たが、進さんとOさんは、私の看護と護衛のために残ってくれるようにとT分遣所長より話があったが、私は手を振ってこれを遮り、
「いーや、進さんもOさんも、この場合私に構わず前線に出て下さい。早く、早く・・・。」ととぎれとぎれに言った。実際生死の境を彷徨っている私は、素より生をきしていなかった。そしてさなきだに兵力の不足であるこの際、負傷せる私のために進さんとOさんを留めることは、どうしても四囲の事情が許さなかった。進さんは、
「一ッ時だから、この場合しっかりしていて下さい。」と心を後に残しながら、Oさんと前線に走り出た。

 私は唯一人宿直室に残されたが、絶えざる出血のためだんだん意識が朦朧としてきた。折から夢か現(うつつ)か、物凄い喚声が裏山に轟いて、数発の銃声が聞こえた。私は血海の中に全身朱に染まって呻吟していたが、遂に全く意識を失ってしまった。

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