田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月23日金曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 馬の鈴 1

 その年の晩秋から、何回かT部長と照復したが、とうとう頭のいい耶蘇教信者の洪君は、S組合の設立準備委員を命ぜられることとなった。勿論設立の暁はS組合の理事に任命せられ、本道に最初の鮮人理事としての栄誉を担うことになっていたのである。

 S組合の設立は、非常に急を要していたので、洪君は大正八年の新春を迎えると、その新年宴会が済んだ翌日の六日に愈々出発することになった。

 前夜から降りだした雪は朝になってもなお止まなかった。私が洪君の家に行った時は、もう馬の準備ができて前のポプラの樹に繋がれてあった。雪はシンシン降りしきって、その栗毛の朝鮮馬の顔にも背にも沢山積もっていた。馬は時々嘶いて雪を払うためにブルブルと胴震いしていた。
「お早う、洪君準備が出来たかね。」と私は外から声をかけて温突の戸を開けてみると、洪君夫妻は子供を真中に座らせて、東の方を向き何か頻りに祈っていた。二人とも目に涙を一杯溜めていた。私が開けた温突の戸の隙からは、雪がしゅうしゅう吹き込んだ。私は黙って戸を閉めた。
「ハイ、すっかり準備は出来ました。」と言って洪君は私の方に向き直った。
「理事さん、こんなに雪が降っても大丈夫でしょうか。」と洪君の奥さんは、子供を自分の膝の上に抱いて私に尋ねた。そして涙に潤んだ目をそうっと拭いた。

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