田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月20日火曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 戀(こい)の豹 2

 元来私は酒は一滴も飲めないのだが、折角私のために三里の道を持ってきてくれた崔さんの厚意を否むことはできなかった。グッと一杯飲み干すと全く咽喉が焼けつくようであった。崔さんは又ポケットから酒の肴だといって麦粉で作った色駄菓子を七つほどつかみ出した。そして、
「食べなさい。」と言って満足らしい顔をした。
 崔さんはその後よく利息を払いに組合に来た。その度に乏しい中から、幾らかづつの貯金をしていった。

 洪君は高等普通学校の卒業生で、年は若いが中々落ち付いた頭のいい男であった。そして熱心な耶蘇教信者で、滞貸整理などに出張すると、ある時は無暗に組合員に同情して、返済能力のある者に対してまでも回収せずにすごすご帰ってきたりしたこともあった。
 また日曜日には必ず教会に通った。教会の鐘がカンカンカンカンと鳴りだすと、何だか明るい気分になって、引き付けられるように教会に行きたくなるなどと話したりした。
 そして日曜日が市日に当たることが、洪君には一等苦痛らしかった。こんな時には出勤前に教会に行って、それから時間までに組合に出勤していた。組合員も誰も居ない時にこのカンカンが鳴りだすと、洪君はペンを握ったまま事務室でよく黙祷していた。

組合の裏山は保護林で、朝鮮松や落葉松が鬱蒼として繁茂している。その他四方は峨峨たる山岳が重畳(ちょうじょう)として、いずれを見てもT部長の言った京都の東山のようななだらかな山は見当たらなかった。
春になると丈なす白躑躅(つつじ)や、その他いろいろの珍しい高山植物が沢山咲き乱れている。
八月の盛夏というのに裏山では鶯と時鳥(ほととぎす)が一緒に鳴いて、全く高原地帯の別天地を思わせた。勿論蚊などは見たくてもいはしない。

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