田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年4月21日水曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 自殺状 2

 田井さんが組合に加入したのは、老後を養うための貯金、即ち養老貯金をするのが目的であった。だから無論貸付については何の交渉もなかった。
 私が郵便局の窓口に行った時、田井さんは、
「私は郵便局の事務員をして、他人には郵便貯金を勧めていますが、実際郵便貯金よりも組合の貯金の方が利息が高くて、計算の条件がいいから、貴方の組合へ預けます。」と言って、それ以来田井さんは毎月必ず給料日になると、封筒の中に幾らかの金を入れて、逓夫に持たせてよこした。

 田井さんは嘗て台湾にいる時、マラリヤに冒されて、それ以来時々発熱して困ると言っていたが、実際身体は痩せて、青白い顔に目も落ちこんで、その中に小さな瞳が輝いていた。そして右の眉の根にあるかなり大きい黒子は、妙に顔全体を淋しく曇らせていた。
 ある日田井さんから、発熱したから一寸検温器を貸してほしいといってきた。私は多分マラリヤの熱だろうと思って、義州をたつとき用意してきたマラリヤの薬を検温器に添えて持たせた。 それから間もなく、郡庁の技手のOさんが遊びに来た。
「田井さんは病気ですか。」
「そう、今発熱したから検温器を貸してほしいと来たが、多分マラリヤでしょう。」
「そうでしょうねえ、時にあの田井さんはねえ、全く外出が嫌いなんですよ。ここに来て、やがて三年になるが、毎年正月には邑内の人にまで年賀状を出して、決して自分で回礼には歩きませんよ。貴方も今年年賀状を貰ったでしょう。実際面白い人ですね。」と言った。
 Oさんは口では面白い人ですねえと言っていたが、内心奇妙だ、大分変わっていると思っているらしかった。そして月給取には聊(いささ)か不似合な煙草入れを腰から抜いて、銀の吸口のついた煙管で煙草をスパスパ吹かせた。Oさんはこの印伝の煙草入れは内地をたつとき、母親から形見に貰ったのだから離さないと言っていたが、実際Oさんは不思議にその煙草入れを離さなかった。

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