田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月15日土曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 N検事 3

 そこで私は三月四日に、T分遣所長の慌ただしい来訪をうけ意外なことを聞かされたことや、在留民の協議会の顛末や、その夜憲兵隊に全員引き揚げて、一同が協力して警備に就いたことや、翌日三月五日午前九時に、数百名の暴徒が潮の如く襲撃殺到して来たので、私は大声を挙げて、「ツロオヂマラ(はいってはいけない はいってはいけない
)」と叫んで、これを制止したが、遂に及ばず、絶体絶命となったその刹那のことや、遂に貫通銃創を蒙ったことを詳しく話した。 

 その間進さんとOさんとは、熱心に私の陳述を聞いていたが、時々興奮したような面持ちで私の顔を見つめた。そしてN検事は、
「証人は本件に関しては、もう言うことはないか。」と又私の顔をまじまじと見つめた。私は、
「この上、別に申し上げることはありませんが、あの際私共のとった方法は誠にやむをえない、機宜に適したことであるということを付け加えておきます。」と答えた。

 N検事の傍らに跼んで、縁先で筆記していた書記は、その調書を私の前に差し出した。すると又検事は、
「よく見て、それに相違なければ、署名捺印しなさい。」と言った。私は一通り目を通した後、Oさんが墨をつけて差し出してくれた筆を受け取って、ベットに横たわったまま署名して、静かに捺印した。

 それが済むと、N検事も随行の書記も、靴を脱いで上がってきた。そしてN検事は全く一私人となって、
「理事さん、本当にご苦労でしたねえ。負傷は如何ですか?」と、親切に私の労をねぎらってくれた。そしていろいろと雑談の後、N検事は今からまた郡守の所に行くと言って、丁寧に挨拶して立ち去った。

 それから私は進さんとOさんと三人で、尋問された事柄や一私人としてのN検事の言葉をいろいろに味わってみた。

 折から戸外は、綿を千切って落とすように春の雪が降っては消え、消えてはまた降っていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿