田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 再び第一線へ 1

 大正八年三月八日、陽徳分遣所の朝露に轟いた一発の銃声は、遂に私を終生不具としてしまった。秋風そよぐ夕べ私はそゞろに疼痛を覚え、幾度か弾痕を撫して泣いたことがある。  

 ある時は花柳病患者と見誤れ、またある時は心なき人から不具として嘲られたりしたこともあったが、その度毎に私の顔には淋しい笑いが漂うていた。
 しかしながらまた皎々たる月明りの夜、静かに黙想して、あの騒擾の際、私が貫通銃創を蒙って、風前の燈火の如く危うく命の絶えなんとするその刹那、敢然万死(かんぜんばんし)を冒して私を死地から救い出してくれた恩人進さんの友情を思い、また自分も傷つきながら私を案じてくれた組合員崔さんの真情を思い、将又嘗て書記たりし洪君の変わらぬ情誼を思うとき、私は人間としての感激の血潮が躍動した。

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