田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月15日土曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 不安の一夜 2

 その日の夕方から、負傷した私の右足は、爪先から腰にかけて紫色に鬱血し、皮が張り裂けんばかりに腫れあがった。そして大腿部の神経が弾丸のために切断されたので、益々痛みは激しくなり、その上に熱は三十九度までも上がった。
 
 午後八時頃、正服にゲートルを巻いた進さんが、静かに私の様子を見に入ってきて、
「重松さん、痛みはどうですか?」と聞きながらポケットから二通の電報を取り出した。
二通とも官報で、一つは冨永第二部長(今は故人となられた富永平北警察部長)で、他の一つは関田理財課長(現朝鮮金融組合協会常務理事)よりきたものであった。
「メイヨノゴフショウ二タイシフカクドウジョウス トミナガ」
「メイヨノゴフショウ ハヤクゴカイユヲイノル セキタ」
と進さんは私に読んで聞かせてくれた。私は、
「有難う。もう道庁に報告してくれたのですね。」と言って、部長や課長のご厚意を心から感謝した。進さんは、
「ええ、今日午後の二時頃に、漸くその要領だけは電話で知らせておいたのです。とにかく今夜が一番危険て゜すよ。」と言って私の額に手を当ててみて、
「これは中々熱が高いが苦しいですか?」と心配そうに言った。
そこへ公医がOさんに導かれて診にきた。 
包帯の上に血が滲み出ているのを見ると、
「出血は大分止まったようですが、足が大変腫れましたね。」と言いながら包帯を巻き換えて、静かに私の脇に検温器を差し挟んだ。やや暫くして進さんが、
「こんなに腫れていても大丈夫ですか?」と聞くと、公医は差し込んだ検温器を取り、ランプの灯りに透してみて、一寸首をかしげて、
「大分熱が高いから心配ですよ。今三十九度八分あります。まァこの鬱血が化膿しなければいいですが、もし化膿でもすれば大腿部から切断しなければなりません。それで私は最初から随分厳重に消毒しているのですが・・・ 多分大丈夫でしょう。」と言って公医は帰っていった。

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