田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 真の内鮮融和 4

 嘗て騒擾事件に負傷した二人が、今此処で六年目に巡り会って、お互いに負傷の予後を案じて問い交わしたことは、誠に美しい人情の発路で、そこに真の内鮮融和幽玄が湧き、庶民提唱の平和が築かれるのである。融和は正に一片の浮き雲の如きもので、如何に巧みな辞令や、流麗な文字を美しく羅列しても、それが真の心の叫びであり、誠意の披瀝であり、真心の融合であり、人格の接触であらねば、真の内鮮融和は期せられない。

 理事としての私は組合員崔さんの人間としての真情に動かされると同時に、また彼等を動かさずには止まないという熱情が胸いっぱいに燃え上がった。
 業務調査が済むと、私はかねて舊知のそちこちを挨拶に廻って、元憲兵隊の跡である駐在所に行った。すると其処の憲兵上がりの主任は、
「お名前はよく拝承しています。理事さんはこの建物は思い出が多いでしょう。」と言って茶をすゝめてくれた。
 私は主任の許しを得て、嘗て収容された宿直室や毛布を吊って光線の漏れないようにして不安な一夜を明かした宿舎や、負傷して倒れた構内のそちこちをステッキに縋って、無量の感慨に浸りつゝ徘徊した。

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