また私が大正六年十月まで土地調査局に在勤していたときの知己で、その当時総督府の総務局国勢調査課に在勤中の、吉田繼衙氏から、次のような来信があった。
拝啓 今回の騒擾事件は誠に遺憾の極みに有之候処、
平南は特に激しく又殊に御地は暴行に及び候趣きにて、
豫而豪氣に満てる賢兄は、官民一致して暴民鎭撫中、
憲兵隊に於いて重傷を負はせられ、目下療養中の由、
此時此事を聞き生等同情に不堪、和田理財課長及工藤
課長の発起にて、別紙の通り慰籍料醵集中に有之、不日
御送付申上候へ共、何卒精々御加療遊ばされ、一日も
早く御全快の程祈り上候
三月十九日 總務局 吉 田 繼 衙
重 松 髜 修 殿
(別紙)
今回の騒擾事件は、事理を解せざる一部暴民の所為にして
既に我が半島の北半に波及せんとす。誠に遺憾の極みと
謂う可し。聞く処に依れば平安南道陽徳金融組合理事
重松髜修君は、去る5日午前9時、同地に蜂起せる暴徒
鎭壓の為憲兵隊に應援中重傷を負ひ、目下療養中に
屬すと。此の時此の事を聞く、千里相隔てゝ未だ其の實情
を詳かにし得ざるも、同君の性行を想ひて、誠に同情に
堪えざるものなり。即ち不肖等胥謀り、慰藉料を醵集して
同君に贈らんとす。幸に御賛同あらむことを。
大正八年三月
発起人 和 田 一 郎
工 藤 壮 平
長谷川 權 作
馬 淵 徳三郎
吉 當 繼 衙
新 宮 忠三郎
鈴 木 善太郎
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