田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月15日土曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 N検事 2

 家に帰ってからの私の看護やその他万端の世話については、主として進さん夫妻と郡庁のOさんとが当ってくれることになった。

 丁度その日から、私の容態は幾分よくなって、漸く危険の域を脱することができた。

 大邱の法院から、応援のため出張してきたN検事は、私共が憲兵隊を引き揚げて家に帰ると、今まで引致されていた二百余名の取調べを開始した。九日には証人として、責任者たるT分遣隊長と郡守と、それに私とが取り調べられることになった。

 その日の午後一時頃になると、N検事は一名の書記を従えて、私に名刺を差し出して、私を今回の事件の証人として、臨床尋問する旨を厳かな態度で伝えた。

 折からそこへ看護に来ていた進さんとOさんとは、はたして私がどんな陳述をするか、またN検事が如何なる取調べをするかと、心配らしい顔をして、N検事に礼をしたまま黙って聞いていた。

 N検事は正服を着て玄関に突っ立ったまま、形の如く私の住所、職業、氏名、年令を聞き、更に何年何月何日に当地に赴任したか、また赴任以来理事の職にあったかと聞かれたから、私はそれに対して簡単に答えた。するとN検事は、
「証人は、今回の騒擾事件に負傷したというが、はたして事実か?」
「ハイ、この通り貫通銃創を蒙ったことは、事実であります。」と私は血の滲み出た包帯を示した。
「然らば証人は、本件について負傷するに至った事実を詳細に申し立てよ。」と更にN検事は私の顔を見つめた。

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