田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 迷える者と悟れる者 2

 そこへ一束の郵便物が配達されたが、それは殆ど私への見舞状ばかりであった。その頃の私は、その手紙を床の中で何回となく読み返すことを楽しみとしていた。

 今も着いたばかりの郵便物を上から順に繰って、先ず差出人の名を見ていた。するとかねて洪君を紹介した朝倉理事の葉書があったので
、私は若しやと思って胸がドキリとした。急いで読み下すと、前半は私の負傷に対する見舞いで、後半は実に今まで三人で噂していた洪君のことであった。

 私はせき込みながら読み下した。
 「貴組合より転勤したる洪君は、辞表を提出すると共にS村に於いて 、耶蘇教信者と共に不穏の行動を為し、其の筋に引致され、昨日  当地分遣所に護送されたるが誠に遺憾の至りに存候。早々」
 私は手が戦き、声がわなないた。

「やはりあの洪君がねえ。」と進さんもOさんも岡田さんも皆、私の手からハガキを奪い取るようにして見て、三人共今更のように打ち驚いた。

 私は自分の手元から離れていった洪君の身の上を思う真情から、もしやと思って心配していたが、今その知らせを見て全く夢ではないかと疑った。そして横になったまま静かに黙想していると、洪君が赴任の際、雪の馬上に祈った姿や、崔さんが火田で作った玉蜀黍を持ってきてくれた姿が、今目の前にまざまざと描かれて、腸(はらわた)を断ち切られるような気がした。

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