田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 再び第一線へ 6

  私財を投じて副業の奨励を図る
   養鶏模範部落を設置して努力する重松金組理事
   江東の農村経済  産業リレー第一班池田記者

 江東金融組合の主要施設事項の一つに、養鶏模範部落設置という特色のある一項がある。これは農村経済の振興を図るために、副業を奨励して貯金の資源を与え、一面鶏種改良の数年間の継続事業として今年度から設置されたものであるが、大正十四年十月から同十五年中は、専ら種鶏の作出に努力した。金融組合の施設事項となっているが、実際重松理事個人が既に私財一千円以上の犠牲を払って、養鶏数百羽の飼育をなし、養鶏模範部落並びに学童等に配布する種卵の如きも勿論無償で配布したのであるが、既に配布したもの約千五百個に上り、設置場所は江東面下里ショウ項洞一円で、五十戸に対して配布した同氏の種卵が孵化して、養鶏模範部落は同氏の徳を讃えながら、今正に実現の第一歩にあるのである。重松理事の庭には所狭いまでに沢山の鶏舎が建てられ、氏が選定した種鶏白色レグホーンをはじめ、道決定の名古屋種その他が健やかに飼育されている。重松夫人の如きは重松理事の勤務中、氏の百数十羽の種鶏の世話に朝からかかり切りであって、夏期中など陽に焼けて、若き女の身空で真っ黒くなって重松氏を助けながら、よく今日に及んだものでる。同氏夫妻の燃ゆるような熱と不屈な奉仕の仕事に敬意を表して、その模様を少し調べてみる。

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