田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 再び第一線へ 5

 翌る昭和二年の二月より、下里養鶏模範部落の設置、学童養鶏、付近の希望者といった順序に、白レグと名古屋種の種卵をドシドシ配布して、当初計画の通り千五百個の種卵を完全に無償配布を了して、その年の初夏には、部落では改良種の雛が盛んに活動していた。

 丁度その頃、平壌毎日新聞社では、産業リレーを行って、西鮮三道の産業状態を調査して、連日掲載報道していた。そして当組合にも第一班の池田記者が訪ねて来て、いろいろ調査したり、親しく実地を観察した結果、昭和二年五月十三日の平壌毎日新聞に、養鶏模範部落の記事が詳細に報道された。今それを茲に掲げて模範部落設置の記事を省略することにする。

0 件のコメント:

コメントを投稿