慈恵医院の前に自動車が着くと、そこには関田理財課長や佐藤連合会理事や、私が初めて本道に赴任してとき出迎えてくれた高見君が今は連合会の職員となって出迎えてくれた。私はみんなの顔を見ると、急に悲しさが胸いっぱいに込み上げてきた。
その日は既に時間後になっていたので、ただ包帯の巻き替えだけし、私は輸送車に乗せられて、長い廊下を白衣の看護婦に、ゴロゴロゴロゴロとと引きまわされて、遂に西室の四号に収容され、茲に淋しい病院の一夜を明かした。
私は重松髜修の孫娘のひとりです。昭和16年に発刊された重松髜修著「朝鮮農村物語」が様々な方の手により、また陽の目を浴びようとしています。皆様に感謝しつつ、祖父の記した朝鮮農村物語を少しずつではありますが更新していきたいと思います。是非ご覧ください。
0 件のコメント:
コメントを投稿