田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 繭買い 1

 崔さんは帰ってきてからも、度々組合に出入りして、従前よりもっと親しくなった。市日などには別に用はなくても、必ず組合に寄ってよく私を見舞ってくれた。
「理事さん、足は痛みませんか? まだ松葉杖はとれませんか?」などとよく私を慰めてくれる。その度ごとに私は崔さんの親切がしみじみと嬉しかった。

私は邑内の近くの幽邃な石湯池の温泉にしばしば湯治に行ったが、何しろ生死の境にあった程の重傷であったので、やがて一年有半にもなるのに、まだ松葉杖が外されなかった。

慈恵医院を退院するとき院長が、もうこの上は温泉と電気治療のヂアテルミーが一番いいと教えてくれたが、その頃慈恵医院にはヂアテルミーの設備がなかった。丁度新聞を見ていると平壌の藤本病院にヂアテルミーの広告が出ていたので、早速私は出壌して藤本病院に入院した。

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