田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 再び第一線へ 3

 赴任して区域内の事情をいろいろ調査してみると、中農以下就中小農に属する農民は、毎年三月から六月下旬の蚕繭の出回り期までは、糧食も尽き果てゝ、全く日常の生活にも困難を来たすものが少なくない。
そしてこの種階級の人々は、一朝凶作に遭遇するか、あるいは病魔に襲われると、全く再起さえも覚束ない状態である。これは畢竟農村に於ける一ヵ年の収入が平均しないで、主として収穫期ばかりであって、次の収穫期までは殆ど収入の道がない結果である。殊に本道の如く二毛作を為し得ざる地方に於いては、農作物のみによって随時の収入を得、収入期の平均を保たしめて、生活の安全を図ることは困難である。故に此の種階級の救済策としては、殊に其の地方に適した副業を奨励し臨時収入の機会を多くし、なるべく収入期の平均を図ることが肝要である。
しかしながら適当なる副業を奨励して、疲弊に苦しみ困難に悩みつゝある中産階級以下の組合員をその苦境より脱せしめんことを焦慮工夫するも、しかも容易に適当なる副業を見出すことが出来ないのであるが、真面目に組合員のために図り、真剣に組合員を生かすために工夫をなし斯く副業を得せしめる事を痛感し、之を得る事に熱心なれば、そこに自ずと副業は生まれ、当初その成績みるべきものなしとはいえ、これを実行する中に副業は培われ、之を継続する中に副業は成長し、やがて庶民から生活安定の福音として大いに歓迎せらるるようになる。

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