慈恵医院の院長は温顔に微笑みながら、私に対して「貴方は全く再生したのだ」と言ったことがある。
半島開拓の聖壇を碧血で血塗った私は、今また再生の希望と歓喜とに燃えて、更に残る不具の半生を半島農民のために捧げよう。
そうだ、愛と力と熱とは総てを征服する。こう決心したとき、私は心臓の高鳴りをさえ覚えた。
そして私は何の躊躇もなく、大正十四年七月、江東金融理事として、再び第一線に立ったのである。
私は重松髜修の孫娘のひとりです。昭和16年に発刊された重松髜修著「朝鮮農村物語」が様々な方の手により、また陽の目を浴びようとしています。皆様に感謝しつつ、祖父の記した朝鮮農村物語を少しずつではありますが更新していきたいと思います。是非ご覧ください。
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