私は連合会に転勤して丁度三年目に再び山紫水明の陽徳組合に業務調査のため出張する機会を得たので、新たに感慨の血が躍動した。
もうその頃は邑内の諸官公署は八里手前の大湯池温泉の所在地に移転されていたが、それでも破邑として舊陽徳は新道路の両側にだんだん家が新築されて、少しも衰微の模様はみられなかった。
折からその日は市日で、狭い町に人々がいっぱい溢れていたので、私は邑内の入り口で自動車を乗り捨てた。
市の人波を分けて町の中ほどに来ると、ささやかな飲食店がある。その角から右を向いてみると、六年前に担架に乗せられ、公医の所に行く途中、民雇に担架を置き捨てにして逃げられた桑園が、今も昔のままに残っていた。桑園の中には二人の鮮婦が赤い夕日の中に佇んで頻りに桑を摘んでいた。私はもう胸がいっぱいになった。
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