田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 再び第一線へ 4

 そこで私は副業養鶏を最も適当なるものと信じて、之を奨励することにした。即ち養鶏の産物の販売によりて、時々の収入を得せしむるのである。凡そ人は有る時の十円の金よりも、無い時の五十銭か一円の金がより以上に貴重であり、また役立つものである。そして更に進んで農民に副業を授け、貯金の資源を与えると共に、一面また近時個人主義の思想勃興し、ためにややもすれば協同主義の精神没却せられんとする傾向あるにあたり、副業養鶏の奨励並びに模範部落の設置等の施設は啻に組合員の経済の発達を促すのみならず、更に組合員間の協同主義の精神を強固ならしめ、又組合員と組合との関係を緊密ならしむる点においても、偉大な効果があるものである。

 そこで固き信念と強き決心とをもって、愈々本事業に着手したが、着手するに当って、妻にも本事業の目的及び性質を充分に理解せしめておく必要があるので、妻を連れそちこちの養鶏場を視察して、大正十四年八月着任と同時に私費を投じて種鶏二十羽を買い入れ、大正十五年は自ら鶏糞にまみれて、専ら自分の手許を充実し、百羽の成鶏を管理して、全く陣容を整えたのである。

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