田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 迷える者と悟れる者 4

 拝啓 前略御免下され度候、陳者理事様へは今更御手紙を
 差上ぐる事さへ、誠に面目なき次第に有之候、実はあの時断然
 自殺を決心し、夜の甲板上をうろうろとさまよひ居り候処、図らずも
 船員に発見せられて、厳しく監視せられたる結果、之が決行の
 機会を失し候まま、唯甲板に佇みて、大海の大空に瞬ける無数の
 群星を打ち眺め居り候処、その内段々と冷静に相成るに従ひ、
 生に執着を感じ、死ぬ覚悟を以て今一働きと存じ、又元の台湾に
 渡航し、さる郵便局に勤務致し居り候、顧れば昨年出発前後に
 当っては、多大の御心配相かけ候段、今更何とも申訳なき次第に
 候、何卒平に御許し下され度候、実は何かの機会に御挨拶をと
 思ひ居り候処、図らずも今朝、新聞紙上にて「陽徳金融組合理事
 重傷を負へり」の記事を拝見いたし、誠に驚愕仕り候、
 その後の御容態如何に候や乍蔭御案じ申上げ候、何卒精々
 御加療の上、一日も早く御全快の程祈り上げ候、先ずは不取敢
 御見舞申上候、早々。
  大正八年三月八日                田 井 囚 水
  重 松 理 事 様
 
 と進さんは、一息に読み下して、みんなと顔を見合わせた。私は全く死んだと思っていた田井さんから、今こうして見舞状を受け取ったが、あまりの事に、何が何だか解らなくなってしまった。

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