私は負傷してから丁度一年八ヶ月の間松葉杖に縋っていたが、それから無理にステッキに換えて歩行の練習をした。その負傷後二年有半をなお陽徳に在勤していたが、色々の関係から私は連合会に転勤することになった。
思えば私は大正七年一月寒風骨をさす頃、完全な身体で着任したが、大正八年の騒擾に死線を越え、遂に跛足となってしまった。そして大正十年十月、秋風身に沁む頃、愈々陽徳を出発することになったのである。私にとっては誠に感慨が深かった。
さらば思い出深き陽徳の山よ、川よ、温泉よ、村人よ、崔さんよ・・・と私は飽かぬ別れを惜しんで陽徳を出発した。
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