田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 繭買い 3

 こうして二週間もいたが、組合の事務が気になったので、また山の温泉で湯治ときめて陽徳に帰っていった。もうその頃は蚕繭がぼつぼつ出回る頃で、元山や平壌から繭買いが入り込んでいた。

 私は毎日事務が引けると、松葉杖に縋って、組合の花壇を一巡りして帰ってくるのが何より楽しみであった。
その日も午後五時頃、事務所をしまってから、松葉杖に縋って、日々に伸びゆく花壇の草花を見ていると、そこへ一人の周衣に鳥打帽子の若い男が、自転車で組合に乗り付けたが、組合の植込みに佇んでいた私を見ると、転ぶようにして飛び下りた。その男の視線がハタと合った時、私は、
「おゝ!」と叫んでよろよろと松葉杖に縋ったまま前に進み出た。それは洪君であった。
「あゝ、理事さん」と洪君は自転車を投げ捨てるようにして花壇の方に走ってきた。

 私は松葉杖を小脇にかい込んだまま右手を出して洪君と堅い握手をした。絶えて久しく会わなかった洪君と私は、もう感慨無量で胸が張り裂けそうであった。そして二人の目には早くも涙が輝いた。洪君は漸く口を開いて、
「理事さんが重傷を負われたことは、あそこにいる時、此処の組合員の崔さんから聞きました。それからまた私の妻が陽徳を引き揚げる時、同じ自動車に乗って、理事さんは慈恵医院に入院されたと聞いて、大変心配していましたが、まだ松葉杖に縋らねばなりませんか?」と洪君は私の変わった姿を打ち眺めて暗然とした。
「ありがとう。この春、崔さんから君の噂を聞いて案じていたが、僕も昨年の騒擾で、まだこんな有様だよ。」
「いゝや、全くなにもかも夢のようです。私もあの時やはり理事さんの傍らに居るか、或は妻子と一緒にいたら、あんな事にならなかったでしょうが・・・・・」と洪君は俄かに顔を曇らせた。そして尚も、
「実は此処で生まれた子供にも、この春帰ってきて、初めて会ったようなわけです。」と洪君は子の父としての自分を深く顧みて、太い吐息を漏らした。
「いや、あの時実は僕も君のことを非常に心配していたところ、朝倉理事から知らせがあって全く驚いたが、然しね洪君、過去は過去だ。これからは大いにお互い働こうよ。」
「それで実は私も遊んでいても仕方がないと思いまして、今度ある資本家をみつけて、繭買いを始めて、久方振りに理事さんに会いたかったので漸く今来たところです。
「とに角、此処では思うように話もできない。まあ僕の家に行こう。」と私は洪君を促した。

 私が松葉杖に縋って歩きだすと、洪君は自転車を押してついて来た。事務所のポプラの若葉が風もないのにサラサラと音をたてた。

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