公医のすすめで、間に合わせの松葉杖に縋って運動をすることになったが、それとても漸く門口へ出て行くくらいであった。勿論傷口はまだ癒えていなかった。そして撃たれた右足は、切断されなかった僅かの筋肉によって、漸く前後に三四寸動かすことができるに過ぎなかった。
生まれて二十七年間、何の不自由もなく歩いていた私が、俄かに隻脚(せっきゃく)の自由を失ったことは、かなり大きな苦痛であった。
最初の程は、三間四間と松葉杖に縋って歩いてみたが、その度毎に、大腿の傷がズキズキ痛んで耐えられなかった。
自分の家でも、手洗いに行ったり隣室に行ったりするのに、一々妻の肩か、松葉杖に縋らなければならないのは本当に不自由であった。
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