田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 変装 3

 元山の丸金旅館に着いた妻は、車留基さんから手紙と朝鮮服を受け取って、その翌朝早く起き、女中に手伝ってもらって朝鮮式に髪を結い直し、その上を絹地の布で結び、朝鮮服に着替えて、すっかり朝鮮婦人に変装してしまった。

 折しも前夜から降りだした雪は、朝になってから一層激しく降りしきって、大地には既に七八寸も降り積んでいた。

 車留基さんは馬を頼んでみたが、陽徳では五十円くれてもいやだと断られたので、止むを得ず妻は車留基さんに荷物を持ってもらって、宿屋で準備してもらった二日分の食料として食パンやカステラ等を風呂敷に包み、慣れぬ朝鮮皮鞋を穿きしめて、降りしく雪の中を、飽くまで朝鮮婦人になりすまし、命を的に若い女の身空で、二十二里の険阻な山路を越えて、二日目の午後四時に無事車留基さんと共に到着したが、その途中 道を歩いて雪に道を失ったり、脅迫されたりしたが、飽くまで車留基さんの妻になりすまし、危うく切り抜けたかと思うと、また今度は警戒の憲兵から、本当の朝鮮婦人と認められ、この大雪に女の身で旅行しているのは、確かに扇動のため田舎に入り込んでいるに違いないと怪しまれ、危うく検束されんとして電話で照会され、漸くそれとわかって解放されたりしたが、全く生きた心地はしなかったと、流石に女心の恐ろしさに身を震わせながら、途中の様子をこまごまと話して聞かせた。
  
 それ以来、妻が専心看護に当ったので、傷口は毎日薄紙を剥ぐが如く、捗々しくはなかったがだんだんと肉が上がってきたのであった。

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