田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 繭買い 2

 藤本病院は、内科婦人科花柳病の専門医で、花柳病患者は中々多かった。入院してから二三日目のことであった。私はヂアテルミーにかかるために、壁伝いに縋り歩いて隣の患者控室に行った。そこには和服を着た中年の男と、洋服を着た会社員らしい若者とが、中央に据えつけてあった大火鉢を取り囲んで座っていた。私は軽く頭を下げて二人の中に割り込んで、足を投げ出して座った。するとその男は見ていた新聞を膝から落として所在なさそうに私の方を見た。
「貴方もとうとうやりましたね。」と馴れ馴れしく話しかけられたが、私はその男がとうとうやったですねと言ったのか、やられたですねと言ったのか明瞭に分からなかったので、
「何ですか?」と聞き返したら、その男はプーッと煙草の煙を輪に吹いて、
「私も二週間ほど前に切開しましたが、実際花柳病っていやなものですね。しかしあなたももう直ぐ治るでしょう。」
その男はすっかり私を花柳病患者と思い込んでいるらしかったが、私はあまりのばかばかしさにあきれて返事をする気にもなれなかったので、ただ笑っていたが然しそれも亦無理のない話であった。 

 嘗て私の後任に内地から陽徳に赴任してきたYさんを、私が松葉杖に縋って出迎えたら、Yさんは自分は奉天の合戦で貫通銃創を蒙ったことがあったが、貴方は何処で負傷したかと同情した。また子供の時に柿の木から落ちて腕を折った老人のある書家は私を見て、貴方は何の木から落ちたかと聞かれたことがあった。人は誰でも自分を基準として物事を判断するのが普通であるから、その若い花柳病に罹った男が私を花柳病患者とみたのもまた不思議はなかった。

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