田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月15日土曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 不安の一夜 3

 夜の十時頃には、更に熱が四十度二分まで昇騰した。
私は熱に浮かされて、
「しまった。やられた。崔さん・・・・・」などと、時折うわ言を言って看護についていた婦人達を驚かせた。

 夜警の人々は時折外から小さな声で私を呼んで、様子を聞いたり、慰めてくれたりしたが、十二時頃には私の容態が愈々危篤になったので、分遣所長は進さんと立会って私の枕元に座った。そして進さんは、
「重松さん、きついですか?」と訊ねた。私は僅かに頷いた。するとT分遣所長は万年筆に手帳を取り出して、
「理事さん、言い遺すことはないかね。」と私の顔を覗き込んで暗然とした。私は自分でも、これではとても助からないと観念していたので、
「別に何もないが、ただ組合の事をよろしく・・・。」と言ったら進さんは、
「重松さん、確りしなさい。どうにか今宵一夜が明ければ、明日の朝は必ず兵隊が自動車で到着することになっているからね。」と励ましてくれた。丁度その時外からK上等兵が駆けつけて来て、
「所長殿、ただ今十数名の怪しい人影が、正門の方に近づいてきました。」と早口で言った。所長は、
「何ッ!」と立ち上がって奥さんの方を見て、
「それでは奥さん、重松さんをよろしく頼みます。」と言って進さんと二人で、急いで出て行った。

 それから私はだんだん昏睡状態に陥ったが、谷間のせせらぎから取ってきてくれた氷を氷嚢に入れて、絶えず冷やしてくれたその効果が漸くほのみえて、午前四時頃には熱が三十八度五分に降下し、意識が幾分はっきりしてきたので、私は静かに目を閉じたまま黙想していた。

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