田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 迷える者と悟れる者 5

「田井さんが貴方に自殺状をよこしたのは、丁度昨年の今頃でしたね。」と漸く進さんは口を開いた。Oさんは、
「あれをみても、中々人間は死ねないものですね。」と煙草に火をつけた。
「それは誰でも死にたくはないが、死ななければならぬ事情になるとか、又死より他選ぶべき道がないとか、或いは絶体絶命というような場合になれば、死は必ずしも恐ろしいものではないが、少しでも冷静になり、心に余裕ができると、死にたくなくなって、反対にどうかして生きていたいと思うものですが、田井さんなども、夜の甲板で大空の群星を眺めているうちに、つまり自然の精にうたれて、心に余裕ができたのでしょう。」と私が言ったら、Oさんは、
「俳人としての田井さんは、或いはそうかもしれませんね!」と果敢なく消えていく煙草の煙の行く末を見つめていた。私は更に、
「お互いが一度死を決心すれば、死は敢て辞するところではないが、先日の如く、時々刻々、不安の念に襲われながら死を待つが如き心理は、全く死よりも苦痛ですね!」と進さんの顔を見上げた。
「全くですよ。あんな時の心理は、到底筆や言葉では表すことはできないです。真はただ体験によって味わうべきのみです。」と進さんは煙草の灰を落とした。

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