田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 変装 1

 私が負傷してから丁度一週間目に、T分遣所長は突如シベリヤのハバロスクに出動命令がきたので、急遽準備を整えて出発することになった。

 その朝分遣所長は軍服を着て、挨拶のために、ささやかな私の庵を訪ねてくれた。そして私の居間に上がってきて、仰向けに寝ている私の姿を見て、
「理事さん・・・」と、こう言った分遣所長の両目には涙が光った。
「貴方には、今回の騒擾事件については、最初よりいろいろとご尽力にあずかりました。その上に貫通銃創まで蒙られたことにつきましては、私は分遣所長として満腔の熱誠を以って同情と感謝の意を表するのであります。それにまだ貴方の痛々しい負傷の全快しない中に、突如私は予て出願していたハバロスクに急遽出動せよとの命令に接しました。何事も宿命です。この上はどうか専心療養され、一日も早くのご快癒を祈ります。」と改まって挨拶を述べたが、分遣所長は更に私の傍らに進み寄り、手を堅く握ってハラハラと涙をこぼした。
 さなきだに負傷のために感傷的になっている私は、思わず不覚の涙にかきくれた。やがて分遣所長は立ち上がって、
「それでは随分お大切に・・・何れあちらへ着いたら詳しい手紙を差し上げます。」と言って最後の敬礼をして、ハンカチで目を拭いながら出て行った。 
 私はただ床の中から目送したが、胸が一ぱいになって、何も言うことができなかった。

 まだその当時は、次から次へと騒擾が波及して、各地に不穏の空気が漲っていたので、分遣所長夫妻は憲兵三名と補助員二名に護衛されて、途中馬息嶺の険を攀じ越えて、馬転洞に一泊して翌日辛うじて元山に着いたのであった。

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