こうして大正八年が淋しく暮れて、翌る年の春また若草が萌ゆるようになっても、私は依然として松葉杖に縋らなければ歩行ができなかった。そして私は自分の家でも、事務室の中でも松葉杖でコツコツコツコツ歩いていたが、随分不自由であった。
ある書物に自分の妻を亡くした男が、電車の中や汽車の中で女性を見ると、第一番に亡くなった自分の妻と同じ年頃の女性が目につくと書いてあったが、隻脚の自由を失った私はそれ以来、子豚を見ても、小犬を見ても、驢馬を見ても、牛を見ても、子供を見ても、第一番に目につくものはその足であった。また電車に乗っても、汽車に乗っても、人の足ばかりが目について仕方がなかった。
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