田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』重松髜修物語

2010年5月24日月曜日

朝鮮農村物語 我が足跡 迷える者と悟れる者 6

 こんな話の真最中に、洪君の義父にあたる耶蘇教の牧師が見舞いに来てくれた。
 私は早速洪君が引致されたという通知のあった事を話した。すると牧師は、
「それは理事さん、何かの間違いでしょう。今回の事件は耶蘇教信者は何の関係もありませんもの・・・ 私はそんな筈はないと思います。」と言ったものの、年若いあれがもしやとでも思ったのか、牧師の顔にはその瞬間、さっと憂色が漂った。
「実は私もその通り信じたいのですが、先刻向こうからこの通り葉書が来たのです。」とそれを示すと、牧師はじっと見入っていたが、だんだん顔が妙に痙攣してきた。
「とに角心配ですから、明日あちらに様子を見に行ってきましょう。ではどうぞお大事に。」と言って牧師は倉皇として帰っていった。私は床の上から、ボンヤリと牧師の後姿を見送った。すると入れ違いに、組合のK書記が私の見舞いに入ってきた。そして、
「理事さん、あの崔さんが平壌に護送されて行きましたよ。今ここに来る途中会いました。」と突っ立ったまま話した。
「あの崔さんが平壌に・・・。」と言ったが私は急に電気に打たれたような衝動を覚えた。そして私はもうそれ以上聞くことも語ることも欲しなかった。

 私は図らずも、生存していた組合員の田井さんの手紙と、洪君が引致されたという知らせの葉書とを一時に受け取り、今また崔さんが平壌に護送されたと聞かされて、何だか夢に夢見る心地がしてならなかった。

 私は静かに目を閉じて黙想した。すると、今まで私の眼の底にしみ込んでいた三人の姿がはつきりと描かれ、更にこの三人についての錯綜した感情が、頭の中で錦糸のように縺れて、何だか頭がシンシン痛みだした。

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